ブルーザー永吉(ながよし)

1982年生まれ。東京都出身。2005年から何を血迷ったか芸人として活動を始め、売れぬまま歳を食うだけ食って、2022年9月に所属していた芸能事務所も辞め、職業不詳の低所得おじさんとなり、人生迷子の状態で今に至る

現在はライター的なことをしたり、無気力でアルバイトをしたり・・・。それらで稼いだお金は、競馬や応援している東京ヤクルトスワローズの試合チケット代で消えていく。そして夏場には青春18きっぷなどを利用して1週間程度の貧乏一人旅に出る


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【ブルーザー永吉略歴】


1982年 東京都生まれ、アパート貧乏育ち


198X年 漬物を無理やり食べさせられゲロを吐く。以降現在まで酢の物が全く食べれなくなる


1991年 地元の少年野球チームに入る


1992年 世の中は若貴フィーバーで大相撲ブームの中、何故か曙ファンになる。この頃からへそ曲がりであった


1993年 少年野球チームでキャプテンを任されるも、キャプテンシーが無さ過ぎて就任数か月でキャプテンを更迭される


1993年 幼少の頃からバス酔いが酷く、小学校の林間学校の時に一度の旅で3回ゲロを吐く


1994年 小学6年生の時に競馬と出会う


1997年 三沢光晴に憧れて全日本プロレスファンになる。4月に後楽園ホールでプロレス初観戦(チャンピオンカーニバル)


1998年 この頃から腰痛・背骨痛が酷くなり現在進行形


1998年 三沢光晴に憧れて高校の教室の机相手にタイガードライバーをかけてふざけていると、受け身に失敗し、尻付近の尾骨が変形する怪我をする


1999年 テレビ朝日で再放送をしていた西部警察にハマり、放送観たさに高校の学園祭をサボる


2000年 憧れの三沢光晴がプロレスリングNOAH設立と共に全日本プロレスファンからNOAHファンになる


2000年 西部警察の再放送はすでに終了していたが高校の学園祭をサボる


2000年 東京ヤクルトスワローズファンになると決意


2001年 大学入学後、学生プロレスに入るも部費の高さに心が萎え、半年で逃げるように辞める


2002年 西部警察の再放送はすでに終了していたが成人式をサボる


2004年 就活の為に一生懸命バイトしてノートパソコンを買うも、スケベな動画ばっか見て就活を一切せず


2004年 何を血迷ったか、お笑い養成所に入学。ここから人生の階段を踏み外す


2005年 養成所卒業後、芸人として歩み始める


2007年 リボ払い借金地獄が始まる


2008年 組んでいたコンビを解散したことで、ますます暇になったのをきっかけに青春18きっぷ一人旅を始める


2009年 所属していた芸能プロダクションを辞める


2010年 別の芸能プロダクションに移籍


2010年 地上波で初めてネタをやる。しょっぱい結果に終わったので、楽屋に置いてあった弁当を過分に持って帰り、心のダメージを補う


2010年 某局のネタバトル番組に出演し、しょっぱい結果に終わったが、後日に想像以上の高額のギャラが振り込まれていたので大成功だったと記憶を塗り替える


2013年 ボートレースを始めて、ますます依存症を突き進む


2015年 スワローズが14年ぶりに優勝。珍しく強いもんだから調子に乗って試合をたくさん観に行ってしまい、結果チケット代で借金がますます膨れ上がる


2018年 青春18きっぷ旅を始めて11年で鉄道が走っている46都道府県全てを鈍行列車で訪れる。行っていない都道府県は沖縄県のみ


2018年 京都競馬場で行われるJBC観たさに生まれて初めて夜行バスに乗る。35歳にしてバス酔い克服宣言


2019年 知人の紹介で競馬ライターの方の原稿作成などの手伝いをさせていただくようになる


2019年 よせばいいのにリボ払い借金を膨らませて8万6000円もする一眼レフカメラを買ってしまう。その結果、脱糞しそうになるぐらい辛い支払い生活となる(2019年夏以降のブログの写真はこれで撮影)


2020年 暇すぎて当ホームページ『ブルーザー永吉のホームページらしきやつ』を開設する


2021年 誕生日当日の朝に自宅のデスクトップパソコンがぶっ壊れる。スケベ動画の見過ぎが原因かは定かではないが・・・


2022年 コロナにより20~21年と青春18きっぷ一人旅を断念していたが、3年ぶりに旅に出る


2022年 自由を求めて所属していた芸能プロダクションを辞め、晴れて職業不詳の低所得おじさんとなる


2024年 YouTubeチャンネル開設


そして現在に至る