スワローズファンになったのは2000年の秋頃、高校三年生の時。小さい頃から好きだったわけではない

私の世代(1982年生まれ)は、小学生の時が野村ヤクルト黄金時代で、地元が東京という事もあり、周りの同級生もスワローズファンが増えてきていた。しかし、子供の頃から現在までへそ曲がりの私は、それに刃向かう形でヤクルトを嫌うようになる。選手がテレビのバラエティ番組に出てチャラチャラしてる感じも子供ながらに好きになれなかった


そんなアンチヤクルトがどう変わったのか?


2000年9月末、知り合いから神宮球場で行われるヤクルト×巨人のチケットをもらう。連番で2枚もらったのだが、野球を一緒に観に行くような友達がいなかった(まぁ今もいないのだが…)ので一人で観に行く事に。その時に衝撃を受けたのだ…


「球場ガラガラじゃねえか…」


あれだけ強かったスワローズなのに、こんなにも人気が無いのか…

その時にある感情が生まれたのだ


(これは東京出身でもある自分が応援してあげなきゃダメなんじゃないのか?)


そんな矢先、バッターボックスに古田敦也。ピッチャーは巨人・高橋尚成。古田が打った打球が私の座っているライト側ファールゾーンに向かって飛んでくる。その打球はワンバン(ひょっとしたらツーバン)して私の手元に…(下の写真がその時のボール)





私は確信した…

これは古田から「ヤクルトファンになりなさい」というメッセージなんだと…

この日を境にスワローズを応援するようになった





2004年にファンクラブ(現スワローズCREW)の存在を知り入会。以降現在まで更新し続けている

近年は年会費が一番高いプラチナ会員を選択。圧倒的な低所得おじさんである私にとってはきつい金額なのだが、ヤクルト球団への投資だと割り切って支払っている

私の払ったお金で練習用のボールでも買っていただけたら幸いです





大学の友人に生まれも育ちも長野県なのに阪神ファンという男がいて、彼はタイガースが勝つと翌日のデイリースポーツを必ず買って保存していた。タイガースが勝った翌日の一面の『デイリー』の伸ばし棒部分が虎柄になるのも彼から教えてもらった

そんな彼に感銘を受けたのか、私も2001年頃からスワローズがスポーツ紙一面を飾ったら購入するようになり、一面をカッターで切ってクリアファイルに保存するようになる(勿論全てではない)

現在も続けてはいるのだが、止め時がわからなくなって一応続けているといった感じである。クリアファイルもかさばって邪魔だし、しんどいんだよ…





低所得おじさんなので基本的に料金が一番安いライト側外野席で一人で観戦。若い頃は声をからすぐらい大声で応援していた事もあったが、もうそんな元気・気力は無く、現在は静かに野球を楽しみたい派なので、神宮でも比較的閑散としているゾーンを選んで座る

しかし近年は球団のファンサービスの努力もあり、スワローズファンが増えてきて、平日のナイターでも閑散としているゾーンが無くなってきた。嬉しい事なのだが、哀愁漂うガラガラの神宮も好きだったので寂しい気持ちもある





基本的には神宮球場しか行かないのだが、青春18きっぷを使って、ナゴヤドーム・甲子園・広島市民球場・マツダスタジアム・ハードエコスタジアム新潟までスワローズを応援しに行った事もある

ただ東京ドーム(巨人主催ゲーム)は電車ですぐ行けるがここ最近は行っていない。通路を歩いていたら巨人ファンのオレンジタオルが顔面に直撃したのがトラウマなので…



長々と書きましたが、要するに弱かろうが強かろうがスワローズを応援しているという事でございます


【スワローズ観戦ブログ】